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男女関係の正しい秩序
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男女関係
変遷と崩壊の時代における著しい特徴の一つは、あらゆる根本間題が復活して、新たな答を要求することである。継承された伝統的な答は単純に用いることができず、その価値を検討し、活用し、自己の答として確認しなければならない。これらの根本問題の中に、性の問題、すなわち男女関係の正しい秩序の問題がある。
男女の関係は、たしかにそこで新しい態度がたたかい求められる戦場の一つである。今日のような生活の全面的な崩壊の中では、もはや何物にも確かさがないように思われることがしばしばあるかも知れない。昨日まで確実であったあらゆる価値が、るつぼの中に投げこまれた。われわれは、自らを方向づけるために、確乎たる地盤を、足場を見出すことのできる場所を求めている。このような事態の中で、われわれは熱心に聖書の答を求めるものである。
男女関係に関する聖書の教えは、一つの文章や教義または倫理的な教えの中に与えられているのではなく、旧約の物語や歌、箴言その他種々な話の中にそれぞれの特徴をもって示されている。新約聖書の大いなる言葉も、そうした前後関係と背景に治いて見る時に、はじめて完全な意味を獲得するのである。聖書の開巻壁頭をかざる旧約の物語の中で、われわれは一連の重要な言葉に出会う。それは、最初それぞれ別なことを示しているように思われるが、よくしらぺてみると極めて深い意味において互いに補いあっていることがわかる。
聖書の第一頁に、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」という大いなる言葉が明記されている。ここでは、男女が相並んでともに直接神より出て、神にむかって、神のかたちを担うべくさだめられ、相共に「生めよふえよ地に満ちよ」との祝福を受けている
天地創造の第二の物語(創世記二・四以下)は、彼らおのおのの独自の立場につけ加えて、それぞれ異なった任務における男女の相対的な位置をしるしている。アダムは、最初、すべての被造物や六日目に彼とともに造られた獣たちの間にただひとりでいる。やがて孤独の意識が彼を襲う。彼にふさわしい助け手がない。そこで神はかかる助け手を彼に与えようと決心し給う。
「人がひとりでいるのは良くない」。かくて、これらに名前をつけるために、すべてめ獣がアダムのところに率いてこられる。アダムは、これを見てそのおのおのに名前を与える。しかしそれらの中には、彼に適う生きもの、すなわち、彼に応答すべき相手は見当らない。そこで神は、アダムの肋骨から女を造り、これを彼のところにつれてきたり給うた。アダムは「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男(冨げ)から取ったものだから、これを女と名づけよう」とさけぶ。
ここに、今まで彼が造られた世界の他のどこにも見出さなかったところの答が、彼にふさわしい助け手が人類に与えられた。この歴史の黎明期に、それ以来絶えず新しい表現ー男女が、相互完成の運命において、互いに発見し認め合ってきたようなーをとってきている歓喜が生じた。この歴史の曙において、汚されざる純潔な輝きが彼らの関係を照らした。「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」。古い解釈では、女性は男性のために、男性に割り当てて造られたといっている。男性はその父母を離れてその妻にあい、ふたり一体となる。このように彼らの絆は密接につながっているのである。
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